特集:
2008/04/30 日記<いすゞ・ベレット>
いすゞ・ベレット
ベレット (BELLETT) は、日本のいすゞ自動車が、1963年から製造した小型乗用車である。
概要
同業他社のライバル車を想定せずに技術者主導で数々の新機軸を盛り込んだことから「革命児」と呼ばれ、自動車製造技術史上に大きな影響を与えた1960年代日本車を代表する車種の1つ。形式名は細かい区分があるため後述する。車名の由来は既存の上級モデルであるいすゞ・ベレル|ベレルの小型版を意味する造語であるが、手堅く平凡な設計の割には出来の良くなかったベレルと異なり、様々な新機軸が取り入れられ、強い個性を備えた小型乗用車に仕上がっていた。スポーツモデルにおいては日本初のディスクブレーキを採用した。四輪独立懸架によるロードホールディングの良さと、鋭いハンドリングとがあいまって当時の日本車では破格の運動性能を誇り、「和製アルファ・ロメオ」との異名をとった。スタイルは卵の殻をモチーフにデザインされた、丸みの強いコンパクトなものである。日本で初めてGT(グラントゥーリズモ)を名乗ったモデルを設定し、独特なカリスマ性もあいまって硬派趣味のマニアからは支持を受け続けるが、多くのいすゞ車の例に漏れず、他社の新車攻勢下において市場の期待に応える抜本改良がなされないまま、長期生産が続いた。このため1970年代に入ると販売実績が低迷、自動車排出ガス規制の影響もあり、1973年に生産終了となる。総生産台数は170,737台(いすゞ公式ウェブサイトより)。うちGTは17,439台であった。GTについては現在でも名声が高く、愛好家によって維持管理されているものが多いが、逆に今日ではベレット=クーペの先入観が持たれるようになってきている。しかし、本来ベレットはファミリーカーとして想定されていたため、販売の主力はセダンであった。
機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンはガソリンエンジン車は1300cc、1500cc、1600cc 、1800ccで、OHV、SOHC、DOHCの各種が存在、他に1800ccディーゼルエンジンモデルも存在する。サスペンションは日本のフロントエンジン式量産車としては先駆的な四輪独立装架で、前輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン、後輪はスイングアクスル式サスペンション|ダイアゴナルスイングアクスルという組み合わせであった。コーナリング時のテールスライドが激しく、特に峠道を好む若者の人気を得たが、反面、スイングアクスルの特性による荷重移動時の横転からは逃れることは出来なかった。このような極端な特性を嫌う層に向け、1966年以降、後輪をリーフ式サスペンション|リーフリジッドタイプの固定軸とした「タイプB」が追加されている。ステアリングギアボックスは、当時の日本車では例の少ないラックアンドピニオン式で、その応答性の高さは賞賛された。トランスミッションはエンジンサイズを考慮し、当時の標準よりも1段多い4速マニュアルトランスミッション|MT を基本とするが、1965年には3速オートマチックトランスミッション|ATも登場した。マニュアルギアボックスの操作性の良さもマニアの人気を得た一因である。また、本車はコラムシフトとフロアシフト 、ベンチシートとバケットシート、ドラムブレーキとディスクブレーキをそれぞれ組み合わせたモデルを用意したワイドセレクションとなっていたのも特徴であった。1トンを切る車体重量を生かしてモータースポーツでも活躍し、日産・スカイライン|スカイライン台頭以前はサーキットで無敵を誇った。
サルーン
歴史
1963年6月登場。いすゞ・ヒルマン・ミンクス|ヒルマン・ミンクスの後継車として開発された小型乗用車で、当初は丸目2灯の1500ccOHV車であるPR20と、1800ccディーゼル車のPRD10の2種でスタートしたが、翌年4月に廉価版である1300ccOHV車であるPR10がラインナップに加わる。車体は2ドアと4ドアのセダンでスタート、1966年4月に丸形4灯にモデルチェンジ (自動車)|フェイスリフトが行われ、また、1300ccおよび1500ccOHVエンジンと、後輪リーフ式サスペンション|リーフリジッドサスペンションを組み合わせた「タイプB」ことPR30とPR40が登場するが、異型角形2灯ライトとハイデッキとなったリアスタイルでも見分けが付いた。1968年4月に1600ccOHVモデルのPR50が追加されるが、1969年9月にはGTを含む1600cc車全車とともにSOHC|OHC化、1971年10月のフェイスリフト時に1800ccSOHC車であるPR60の投入と引換に、PR10〜40およびPRD10がカタログ落ち、また一時期姿を消していた1600ccOHVエンジン搭載車が1600スペシアルとして復活する。以後1977年、いすゞ・フローリアン|フローリアンにディーゼルエンジンが設定されるまでディーゼル乗用車の空白期となる。1973年10月、翌年に登場するいすゞ・ジェミニ|ジェミニに後を託して生産終了となった。一時期ピックアップトラックのいすゞ・ワスプ|ワスプ(1963年6月発売)とライトバンのいすゞ・ワスプ|ベレットエキスプレスが存在したが、これらはスタイルこそベレットに準じているがフレーム形式 (自動車)|独立したフレームを持ち、乗用車のベレットシリーズとは全くの別物である。
GT
歴史
通称「ベレG」。ベレットはロードホールディングと高速巡航性能を高い次元で両立させた車であったことから、デビューまもなくスポーツクーペの登場が期待され、PR20をベースにレース技術をフィードバックして1964年4月に登場したものがGTことPR90である。エンジンは高トルク形ツインキャブ1600ccOHVを新規に設計、車体もリアウインドウ部分を流線型に仕上げ、サルーンと比較して車体高を40mm低下した。高速ツーリング車ということでGTを名乗ったが、その結果、名称では本車が日本最初のグラントゥーリズモということとなった。1964年9月、フロントマスクを若干変更し同時にフロントにディスクブレーキを装備した。また、この時1500GTと1500クーペも登場している。1967年9月には、それまで3ベアリングだったエンジンを5ベアリングに変更して強化した90PSのPR91に発展、さらに受注生産制であったが、当時の流行にあわせて車体をファストバックとしたPR91Gが加わる。ファストバックモデルは、後ろ姿の美しさから後年の旧車マニアから高い人気を得た。1969年9月、エンジンはSOHCとなり、1970年11月には1800ccSOHCを搭載し、足回りを若干リセッティングしたPR95が登場。翌年、PR91およびPR91Gの生産が中止される。1971年10月にグリルを流行のブラックマスクとし、テールランプもより大型で視認性の良いものに変更されるが、これらはいささか過剰装飾となり不評であった。また、この時一層身近なGTとして圧縮比を8.7に落としカムプロフィールを変更、ロチェスターのシングルキャブを装備しサスペンションを同時期販売の1600スペシアルと同等としたPR95N(1800GTN)を追加したが、他のGTシリーズと共にサルーンより早く1973年3月に生産終了となった。
GT typeR
歴史
形式名PR91W。「ベレG」の中でも頂点を極めたモデルで、1969年8月の鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾ったベレットGTXをプロトタイプとする。エンジンをいすゞ・117クーペ|117クーペ用の1600ccDOHCに換装、サスペンションを前後輪ともスプリングを強化の上、ブレーキにサーボを追加するなどサーキットで投下した技術をフィードバックさせた。車体は太陽光反射を抑えるために採用された黒ボンネットをシンボルとし、2分割されたフロントバンパーの間にフォグランプを装着する。しかし、1971年11月のマイナーチェンジ後はGTともども、当時流行のブラックマスクスタイルとなる。1973年3月まで生産されていたが、その数は1400台程度であった。なお、この車種に使用されていた"TYPE R"のエンブレムは3代目いすゞ・ジェミニ|ジェミニ(クーペ・いすゞ・PAネロ|PAネロ含む)イルムシャーRにも引き継がれている。
MX
歴史
1969年の東京モーターショーに「べレットMX1600」として参考出品されたミッドシップ|ミッドシップエンジン・リアドライブモデル。レーシングカーの「いすゞR6」をベースにいすゞ・117クーペ|117クーペ用の1600ccDOHCを搭載したツーシーターで3台が試作されている(これについては総生産台数に数えない)。ボディは繊維強化プラスチック|FRP製で4灯式ヘッドライトを低位置にぶら下げた姿は、それまでのベレットとはまた異なるものであった。量産化を予定していたが、営業サイドの反対など諸事情により立ち消えとなってしまった。もし販売されていればトヨタ・MR2より10年以上も早く日本初のミッドシップカーとなっていたはずだった。
ベレットが登場した作品
書籍
漫画
ゲーム
関連項目
外部リンク
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